感覚的なものから技術的なものまで音楽を表現するということは不良設定問題である

個別と普遍の関係

音楽というものがもし普遍的な美や感動を求めるものだとすると、演奏者のキャラクターがあまりにも強かったら、それが新しい個性として受け入れられることもありますが、邪魔になることもあると思います。
日産自動車には、ゴーンという強烈なキャラクターがいることにより、日産というブランドのイメージを作っています。でも、もしそのイメージにキャラクターが邪魔をしているとすると、かえって日産にとってはマイナスになると思います。ですが、日産はゴーンのイメージによって強い企業へと変質していきました
当然、私たちクレモナのような室内楽をしている演奏家は個人のパーソナリティーを出したいわけではなく、音楽という普遍的な価値を見いだしたいと考えています。ですが、日産同様に個人のパーソナリティーが音楽表現において極めて有効的に働くのかを体系的に知っています。
一人一人の個別なパーソナリティーと、普遍的な価値が結びつく。それが音楽のおもしろいところだと私は考えています。
あくまでも技術的な側面からすると、アンサンブルで音楽をするということは不良設定問題だと私は考えています。
なぜなら、いくらメンバーや監督がカンカンに音楽について追及したところで、全てをコントロールすることは出来ないからです。全ての音や奏者のパラメーターを細かく設定はできません。だから私たちは本能的に、表現を正則化し唯一解となるような、拘束条件を付与し、それを芸術という分野にどのように持ち込むのかを、演奏者は考え続けていました。
これは、我々が勝手に【常識】とか、【行間】とか言って、漠然と分かったような気になっている表現方法のことで、この正体を論理の言葉を用いて定義しなおす時が来ていると私は考えています。
だから、私たちは音楽について深く考えその情報を発信しています。
【ルークカフェ・ローストラボ・クレモナ】コーヒー主任焙煎士
【池田クレモナ・モダンタンゴ五重奏団】バンドマスター
ぴかりん