2018年1月21日《月》「クレモナ通信」を読む。

この何日間かのメルマガでは、ドイツ音楽と、イタリア・フランス音楽の対比から、なぜクラシック音楽はこんなに高尚な芸術になってしまったかを考えています。

クラシック音楽は取り敢えず、「楽譜通りに」演奏しなければいけないことを先週のこのブログで書きましたが、その「楽譜通り」どストライクの演奏がいわゆる名演と呼ばれます。

それと反対に「楽譜通り」でない演奏は異端と呼ばれます。

あれ、この異端っていう言葉どこかで聞いたことがあるな。と思ったら、わたしたちの大切にしているアストル・ピアソラも「タンゴの異端児」と呼ばれたまさにその人です。

一般的に見てピアソラはクラシックの音楽家ではなくてあくまでもタンゴの音楽家であるということなのですが、それはこの話題の中では取り上げる内容が少し変わってきます。

バンドネオンなんて、クラシック音楽の中では必要とされない楽器なのです。

またクラシックの演奏家なのに、ジャズを弾いて仕事をしていたフリードリヒ・グルダなんてピアニストは、クラシック音楽業界での異端です。

音楽自体に話を戻して、クラシック音楽での異端、というと、やはり型通りの演奏が出来ていないことが条件として挙げられます。

テンポの解釈、ダイナミクスの付け方、フレーズの取り方まで、なんでもかんでも型通りを求められるわけです。

異端であっても、「よい演奏」というのは存在しています。それはもっぱらそのライブの中で表現されることであって、ライブの空気感、空間の在り方、所作などすべてふまえた上で表現される言葉だといえます。

どちらかというと「名演」は過去を振り返る言葉で、「よい演奏」というのは今、このライブ感を語る言葉なのではないかと思います。

わたしたちの演奏が「名演」と呼ばれる日が来るのだろうか…と思うこともありますが、おそらく今この場の「よい演奏」をその場その場で追求していくことが出来たのなら、「名演」と呼ばれる演奏も出てくるのではないでしょうか。

まったく、この新しいジャンルに「型」というのはないので、過去の自分たちとの比較になっていくのでしょうが…

バンドマスター ぴかりん

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