自分と同じ歳で死んだ音楽家の曲を演奏すること



クリフォード・ブラウン、は、1956年6月26日に26歳で死んだ。交通事故で。


酒浸りにもならない、女にも溺れない、薬漬けにもならない、極めて誠実な、真面目な男だったらしい。なんなら大学の数学科に入学、途中から音楽科に編入したものの、この時代にそんなまともなやついる?ってくらいまともなトランペット奏者だった。


そして、時代が期待した、将来を嘱望されたジャズマンだった。


わたしにはそれ以上の知識はない。前述もウィキペディアに書いてあったもので、どこまで本当かわからないおとぎ話なのかもしれない。 


他にわたしが彼について知り得るのは、今目の前にあるこの『Joy spring』のメロディ譜だけだ。

ものすごく作り込まれたリズム、調性、1つひとつの音から溢れ出る若いエネルギー。ためしに演奏しても、その誰にも止められない音楽への喜びが火花のように飛び散る。ほとばしる。

まさか、自分がこの後あっという間に死んでしまうことなんて微塵も予感していないのである。




そしてわたしは、今の私の年で彼が死んでしまったことを今、本当に悲しんでいる。ひどく落ち込んでいる。




どうしてこの人が死なないといけなかったんだ?



このわずかな人生の間に彼はチャーリー・パーカーを驚かせ、アート・ブレイキーとプレイして、そして今わたしが惹かれる『ビバップ』の世界に踏み入れるのだ。理論なしには成立しない世界だというのを彼は身をもって明示している。

このわずかな人生でものすごくたくさんのジャズマンと、そして60年も先のわたしたちみたいな東の果てのクラシック奏者にも影響を与えている。そう、こういうのを影響を与えるっていうんだ。クリエイション。ムーブメント。



死なないでほしかった、というのとは違う感覚をもって今この楽譜と向き合っている。長生きしたらもっとたくさんのものを生み出して、それがまたたくさんのものに影響を与えていたのかもしれない。いなかったかもしれない。たられば論は大嫌いだ。


だから音楽というのは本当に瞬間芸術なんだと思う。その場に生まれその場で死ぬ。


彼の華々しい若さや時代が、目の前ではじけている。


同じ歳のわたしは今、クリエイションをしてムーブメントを起こせているのか?ここからさらに時代を前に進められるのか?

今社会が制限されているからなお、そんなことを考えてしまうのである。

Follow me!