“Chau Paris”は1955年の作品である。ピアソラ34歳。1954年にパリのナディア・ブーランジェの下で対位法をはじめとするクラシック音楽の基礎を学んだピアソラは1955年の夏にブエノスアイレスに戻る。
「Chau」って何語だろうと思ったらスペイン語だった。スペイン語でさよならの意味だ。(どちらかというとバイバイくらいの感じ)
どうしてタイトルをフランス語にしなかったんだろう。と思ったが、やはりピアソラの母国語はスペイン語だったのだと思う。ブーランジェを第二の母と慕っていたという話もあるが、や彼の故郷はブエノスアイレスだ。
フランス語を使った楽曲はこの後生まれるが、それはブレイクしてからの話である。
それにしても1年でだいたいのことを勉強して帰ってこれるピアソラは本当にクレバーだと思う。19歳から24歳までヒナステラに理論を叩きこまれたそうだが、さらに発展した学びだったに違いない。
この”Chau Paris”はまだタンゴの要素を色濃く残しているが、調性の展開、割り切れない小節はタンゴからピアソラが一歩踏み出したことを感じさせる。(アレンジではがっつりタンゴの楽曲/踊りの伴奏としての楽曲になることが多い。)
この後生まれるたくさんの対位法を駆使した作品がわたしは好きだが、この時期の右のものから左のものに移り変わろうとしている、タンゴから、モダン・タンゴに移り変わろうとしている楽曲はピアソラの実験が見られて面白いし、今の私たちにとっても勉強になる。
2020年4月27日月曜日
『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ
バンドマスター ぴかりん(久保田 ひかり)
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