本日は、公開練習でした。この定期公演で最も力を入れている作品群「悪魔」について細部を詰める練習となりました。
今回、弱奏を徹底的に表出させることを大切に取り組んでいます。この弱奏というのは、テレビのボリュームを”ピピピ”っと下げるように、単なる音圧レベルで弱く吹くということではありません。響いた音、つまりしっかりと倍音を含んだ音で、広いホールの一番後ろまで届く音という意味です。
なので、貧弱な音は全くいりません。さらに言うと、大きな音を出さないように、ビビった音も不要です。安定したブレスコントロールと、端っこまで音を届けるという意思のある”弱い音”を求めての練習となりました。 これがめちゃくちゃ難しいみたいです。
でも、これは絶対に克服しなければいけません。弱奏のパートは絶対に目立ってはいけないのですが、しっかりと意思を持って、しかも後ろで存在感を持って演奏しなければいけません。この後ろにいると言うのは、音楽の世界では「レイヤーを後ろにする」と表現します。絵画でいうところの背景という意味です。
背景が全面に出てくるとおかしな絵になるのと同じで、音楽において背景となる内声のレイヤーは一番後ろに持ってきたいところです。しかも背景と同じで、隠れることはできません。そこが非常にバランスの難しいところです。
本日の練習は、レイヤーがチグハグになっていて、おかしな部分もありました。まるで、服の上から下着を着けて歩いている人のようで、個性というには些か異質なものになっていました。
オーケストラの演奏でも、美味しい旋律や、気合の入った箇所はどうしても強奏になってしまいます。スコアを見ても、実演を聞いても「そこはそんなにも頑張らなくても良いのに・・・」と、思われるような箇所であっても、強くなる箇所がたくさんあります。
もちろん、プレーヤーとして自分の仕事に責任を持つという意味では正しい行為なのかもしれません。至って本人は真面目に捉えています。でも、客観的に聞いて、バランスを取ればもっと良くなるという演奏であっても、従来の演奏習慣から抜け出すことのできない演奏はよく見かけます。
もちろん、この曲のこの部分の強奏部を楽しみに来られるお客さまもおられるのですが、そこはあえて、作曲者の意図を汲み取る演奏を試みてほしいところです。
さてここで、作曲者の意図と、現代の演奏時の音のバランスに差異が生まれてくるのか少し考えてみます。
これは、非常に簡単です。作曲された当時と現代ではホールの環境も全く違うし、今の演奏者も楽器も大きな音が出せるように進化しています。例えば、シューマンという作曲家のオーケストレーションって、どうしても鳴りにくいんです。天才的な主題であっても、本当に野暮っくなってしまいます。なので、日本ではあまり人気はありませんが・・・。
逆に、ヨーロッパでは、リヒャルト・シュトラウスはオーケストラが鳴りすぎるので、少しおとなしく演奏する方向に進んでいるように感じたりもします。
その辺り、時代とともに進化した変数を考えない演奏は、個人的に感心しないものばかりです。クレモナでは、その辺りをしっかりと考えた演奏を志しています。
単なる音圧レベルでの強奏は、絶対にしません。しっかりと響いたよく鳴っている「f」で勝負して、ホールの一番後ろまで届く「p」で決めちゃいたいと考えています。
その辺り、ブレスでコントロールする管楽器ってやっぱり良いものです。ぜひ、定期公演楽しみにしていてください。
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