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天才より怖いもの

監督日誌

3月の月曜日の夜は、ずっと練習。毎週帯で練習になるので、準備のルーチンも安定してきて、それはそれで楽ちん。

 そして、しっかりと練習が取れるので、この機会に伝えておきたいことは全て伝えようと考え中。まずは、現在取り組んでいる「ロマン派」を考える時間としていきたい。

見たものしか書けない人

作曲家でも、詩人でも、画家でもそうだけど、自分の目で見たものしか書けないという人がいる。

 クラシック音楽では、ベートーベンがその代表者。なんと言っても、堅物すぎて、誰も気にしないような些細なことに落ち込んで、どうしようもないくらいメンヘラなおじさん。

 世間で流行っている「トルコ風」な音楽を取り入れて曲を作ろうとして、「トルコ行進曲」というものを作るけど、その努力は認めるけど、結構悲惨な作品となる。当然、誰も演奏しないし、同名のモーツァルトの作品の影に隠れて、消滅してしまった。でも、もしかしたら、ベートーベンの目と耳では、トルコはそう聞こえた(見えた)のかもしれないって思う時がある。

 また、ゴッホも同じで、見たものしか書けない画家だと思う。見たことのない、神様や女神さまは書けないけど、自分が見たものは書けるみたいだ。

 ここで、賢明な読者なら普通に思う疑問だけど、「ゴッホの絵のように現実の空は渦巻いたり、ぐにゃぐにゃしたりしていないよ」と言いたくなる。

 でも、その疑問に答えるのは簡単。実際、「ゴッホにはそう見えたんだと思う」。普通の人はそんな風に景色を見ることはできないよ。というのは、単なる一般的な意見だということ。

 そこが、ゴッホの「凄いところ」で「天才」と言う人もいるけど、僕の意見は違う。天才というのは、ベートーベンのような人で、ゴッホは「天然」だと思う。ちなみに、岡本太郎もその部類の「天然」の人だと思う。

「天才」は「天然」には勝てない

 どんだけ努力しても、「天然」の人には勝てないので、もし出会ったら相手しないで、逃げることをお勧めする。

 クラシック音楽でいうと、チャイコフスキーみたいな人。一見、普通の人だし、一般人として生活することもできるし、もちろん公務員もできるくらいの社会性はあるのだけど、どこか物の見方が普通ではない。いったい、この人は社会をどのように見ているのだろう?と、疑問に思う人は大体「天然」に分類することができる。(と思う)

 「天然」の人の場合、目にする現実が普通の人とは違うので、どこまでいっても理解し合えることはない。しかも、付き合いにくいし、仲良くなるのは難しいかもしれない。

さらに凄いのは、見えないものが見える人

 人類史上、時々現れるのが「見えないものが見える人」。ダビンチみたいな人で、見てもいないものだけど、まるで見てきましたみたいにリアルに書くことができる人もいる。

 「最後の晩餐」はその代表作で、タイムマシンに乗って見てきました的に、現実として描けることができるのがダビンチのすごいところ。

 モナリザもきっとそうやって作ったと思う。モデルも実在しないし、背景となる景色もどこにもないもの。彼の空想の世界にしか存在しないものを、リアルに表現できる。それが、めちゃくちゃ怖いし、誰にも対抗することができない。

クラシック音楽ではドビュッシー。

 北斎の絵を見ただけなのに、実際には日本にも来たことがないけど、「海の上から富士山を見てきました」と言える描写ができる人。「天才」を通り越して、「天然」を破壊してできたのが、「見えないものが見える人」だ。
 ここまでの話を整理すると、天才って凄いように思うかもしれないけど、普通に独力すればなんとかなる領域だというのがわかると思う。

 そして、技術だけではどうにもならない領域では、無理して「天然」とは競わない。限られた時間で効率よく上達することをお勧めする。

出鱈目にも歴史がある

 ある特定のディテールにこだわる「天然」には、絶対に勝てないのだから、「天才」は「天才」の戦い方をするべきだ。
 でも、残念なことに日本の音楽科の生徒は、技術ばかり習ってきている。

 しかも、現場では、全く使えないような実技ばかり習得しているので、逆にタチが悪い。

 特に現代アートって何が上手で何が下手くそなのか分かりにくい世界でもあるので、技術だけ磨いて適当に表現するだけでは、全くダメ。

 一見、出鱈目に見える表現であっても、歴史の文脈から逸脱することなく、勉強する必要がる。素晴らしい作曲家の作品や、一流の演奏者はそれができている。

 そして、その出発点が「ロマン派」であり、しっかりと「ロマン派」を理解して語ることができない演奏者は、今からでも遅くないので、【公開練習】にやってきて学ぶことを強くお勧めする。

 そうやって、ちゃんとした流れを理解して、その上で新しい流れを考えなければならない。

 上手いだけで、「どうしようもない」と言われないためにも、ただ感性でするのはアートではないと自覚し、評価されるべきステージに上がってほしい。
 そのためには、たくさん過去の作品を勉強して、その流れを掴んで、その潮流を理解して、過程を感じ取る理解が必要だと思う。

 ロマン派を勉強するということは、つまりそういうことで、この説明が理解しにくい人は、クレモナのコミュニティに入会して、メルマガを購読することをお勧めします。

 ぜひ、公開練習でお会いしましょう。

20250316 監督かじくん

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