「ボイシング」と音楽を「聴く」ことについて

 昨日は全体の練習だった。ここにきて楽譜の理解力が足りなくて、不用意な音を出すことがよく見かけるようになった。これはダメ。

 まず、単音しか出ない管楽器において、自分の音が全体の何を意味しているのか考えることは、難しいと言える。ピアノだと、左手が和音を引いていることが多いので、自ずと調性感が身につくことが多いが、管楽器の場合だと自分の楽譜を見ただけでは、判断できないことも多々ある。

「ボイシング」

 自分の演奏している音が和声でどのような働きをするのかについて考える時に、クラシック音楽では「ボイシング」について考える。周りの音をよくイメージして自分の音をどのように入れたら正解なのかを判断する能力とも言える。

 またボイシングを考えないで、演奏してしまうと、自分の役割が果たせないので、単に意思のない無機質な物理現象になってしまう。一生懸命、生身の人間が息を吹き込んで出てきた音が無機質な物理現象でしかないというのは、本当に残念な瞬間でもある。

 また、ボイシングは和声の垂直的な位置を意味するので、他の音との距離感(この場合、鍵盤で考えるのと、譜面で考えるのでは少し様子が違ってくるのだけど、どちらでも構わない)、音程を考えるということを意味する。

 つまり、次のコードを意識して、自分の役割を考えるという作業がマストだということだ。これには、コードの名前を覚えろという単純なことではなく、楽曲を聴き込んでハーモニーを記憶することを意味する。

 よくギターなんかで耳にするけど、不用意にコードを弾いてしまう人、ボイシングを理解していないから、手の内にある弾きやすい音を並べてしまうだけ。自分勝手な音に並べ替えているので、全く聞けたもんじゃない。これって、自分で音楽に対する理解力が不足していると言っているのと同じで、感心しない。

楽曲を聴き込むということ

 さらに、 楽曲を聴き込むという事が大切だと以前にも言ったことがあるけど、意外にも若い演奏家で音楽を聴いていない人が多いと思う。ここで言っている聴くということは、単に音使いを聞くという意味ではなく、アーティキュレーションや、フィール、コードに対するアプローチを理解して、演奏できるレベルで聞くということを指している。

 つまり、レコードを擦り切れるまで細部を理解して演奏できるレベルまで聴くという作業をしているのかという事になる。自分のスタイルなんていう話はその後。

 ピアソラの素晴らしい演奏は何十年もの時間を経て今日に受け継がれている。そして、この先、何百年も受け継がれるであろう、偉大な作品を実際に音に出して練習せずに(学ばずに)、自分勝手な音楽をやっていて、気持ちよくなっているのを見るのが不快でしかない。

 よく、プロなんかでもお手軽にピアソラを演奏しているけど、メロディにしてもラインの取り方がめちゃくちゃ。デタラメでしかないと感じる事がある。

 これって、上手いとか下手の問題ではなく、音楽を侮辱していることだと思うし、姿勢の問題だと思う。

 「ちょっとウネウネと演奏して、気持ちよくなるんじゃねえよ!」と言ってしまう。どうやれば良いサウンドになるのか日々研究していないし、本質から遠くなっているだけのように感じてしまう。

 そう言った姿勢は、クラシック音楽へのリスペクトがあるとは思わないし、正しい演奏をするために、正しい演奏から学んでいないという事にもなる。
 だから、しっかりとレコードを聞く必要があると考えている。

監督かじくん

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