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自分の出している音のピッチがなぜわからないのだろうか?

演奏会に向けての取り組み


 いよいよミックス作業が佳境になってきています。前回のアルバムよりも求められる事が複雑になってきていて作業は難航してしまっています。 しかし私たちは、確実にこの一年で進化したというのが手に取ってわかるようになっています。そこで、監督として演奏家が一番気になるポイントを考えてみたいと思います。

そのポイントはピッチ 

管楽器の人が多用する言葉に「音程」という音の幅を表す言葉もありますが、今回の話は同義語として扱います。 まず、音程が悪いと判断する場合、他の楽器の音との距離(音程)が正しくないと感じる時に使いますが、吹いている時には中々わからなく、後で聞き直してみるとおかしさに気がついてしまいます。明らかに間違いだと判断したら録り直さなければいけないので、その決定は慎重になりますが、その話はまた別の機会にします。

 ピッチを考える時に、自分自身で判断するのは「正しいか」もしくは「正しくないか」という二択だと思います。もし、自分のピッチが正しくないと判断すると、「高いか」あるいは「低いか」ということになるのですが、さっきも言ったように、平均律的に自分だけ正しいピッチで演奏しても、その音は正しいとは言えないんです。当然、同時に鳴っている和音に対して自分の出しているピッチが正しいのかを判断しなければいけません。

 オーケストラならば、弦楽器がしっかりと鳴っていたのならその音に溶け込ませることは比較的容易です。でも、クレモナのような少人数のアンサンブルの場合、それは簡単にはできない作業になります。常に自分でピッチを作り上げなければいけません。

 自分でピッチを作るという訓練は吹奏楽部の部活動でも、音楽大学のレッスンでも口すっぱく言われ続けてきた事で、たくさんのトレーニングをしてきているはずですが、実際の現場で使いこなせる演奏家になるのは、ごく一握りです。

ピッチというのは繊細なガラス細工のようなもの

 世界的なオーケストラを聞いても 超一流と呼ばれるようなオーケストラの演奏を聴いても、やはりピッチは気になってしまいます。もちろんトゥッティーのサウンドは素晴らしいと感心したとしても、最後の最後でフルートのピッチが悪かったと残念な印象を持つことも多々あります。それだけ繊細なガラス細工のようなものなので、とことんまで拘って作り上げる必要があると私は考えております。

 もう何十年も前から、アジア人(特に日本人)の演奏は、「精密機械のような演奏だ」と揶揄される傾向がありました。ヨーロッパの人からすると、アジア系の演奏者はそう見えたのかもしれないし、ある意味”退屈な演奏”だと評価されたのかもしれません。でも、今はそれも昔の話。たとえヨーロッパであったとしてもピッチの悪い演奏者には仕事が回って来なくなりました。

 つまり、ピッチが少々悪くても素晴らしい演奏が成立した時代が終わり、まずは正しいピッチを身につけることがスタートラインになってきているし、初期の音楽教育の現場でも、スケールとカデンツァが重要な要素になってきています。

これからの時代の演奏と、音楽への深い理解

 これからは これからの演奏者にとって、ピッチは正しく演奏するのは当たり前。その先にある音楽性をしっかりと身につけなければいけません。本を読んだり、美術館に行ったり、映画を見たりという一般的なことから、より深く音楽を理解する事が求められていると思います。

 ハッキリ言って時間はそれほどありません。生身の人間が演奏する行為を大切に思うのなら、もっと深い部分で音楽と繋がる必要性があると考えています。そういう意味において、今のクレモナは大きく成長をしようとしている時です。是非とも、コンサート会場にて成長を見届けていただけたら幸いです。 


2021.10.14 監督かじくん

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