公演詳細

日時:2023年12月24日(日)13:30開演(13:00開場)/15:45終演予定

場所:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール

料金:全席指定 S席5000円/A席4000円/B席3000円(当日は500円加算)

問い合わせ:『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ 072-752-7188

現在の券売状況(12/7現在)

演奏予定曲(これで決まり)

わたしたち『クレモナ』も共有するプレイリストなので随時ブラッシュアップします。

演奏会限定ブレンド販売中!

クレモナの演奏会の楽しみは、コーヒーにもあります!
今回はピアソラと坂本を対比させたブレンドを作りました。
演奏会に来られないお客さまも、ぜひ香りと味で音楽をお楽しみいただければさいわいです。
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そもそも、『クレモナ』とは?

 わたしたち【『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ】は、国内唯一のアストル・ピアソラ専門の室内楽団です。編成は唯一無二のフルート・ソプラノサックス・ホルン・ファゴットの木管四重奏。オリジナルアレンジで演奏しているのに、「ピアソラのバンドネオンが聴こえる」と評価されてきました。
 また全員が女性で、どこの事務所にも属さず、ピアソラ同様、自立した演奏家・プレイングマネジャーとして2016年より活動を展開してきました。
 暗譜で2時間のプログラムを余裕でこなし、各楽器の限界まで挑戦した緻密かつ大胆なアンサンブルは一聴の価値あり。というか、クセになります。

なぜ坂本龍一の作品を取り上げるのか?

クレモナがこれまで体得してきたものは

これまでクレモナはピアソラの作品を通して、

①「古い音楽を踏襲して新しいものを作る」という姿勢を学び

→エレクトロニクスも含めた新しい編成、対位法を用いた作曲の展開、必然的ではあるが高度なアドリブ(計画されたスコア・構造のしっかりした音楽)

→汎用性の高い音楽を、新しい楽器の組み合わせでオリジナルアレンジで演奏する

②ピアソラの楽譜をオリジナルアレンジで取り組み、さらに現代のクラシック業界(欧米諸国)でスタンダードな演奏様式(バランスやタイム感)を取り入れて演奏することで高度なアンサンブルの技術を体得してきた。

「Tango」との出会い

2010年の坂本龍一×大貫妙子の「UTAU」というライブ映像を見る。第1曲目の「Tango」でピアソラの音楽を感じた。ピアソラの死後作られた楽曲で、「Soldad(孤独)」や「Oblivion」を彷彿させる。

これが私にとって「オマージュ」という表現について考えるきっかけとなる。まずピアソラの音楽表現に対するリスペクトがあり、そこに坂本自身の表現であるリハーモニーやリズムの持つ「韻」を重ね合わせて作品を仕上げているように感じた。ピアソラの持つ、人の「個」としての孤独に坂本の「静寂」というレイヤーが重なって新しい創造となっているさまは、「オマージュ」という技法でしか表出できない彩り、フレグランスがあるように感じた。

しかし同時に、これはおそらくピアソラの生前には成し得なかったことだと思った。

生前には踏み入れられないなわばりの存在

クラシック音楽を専門としていると気づきにくいことであるが、「その作曲家が死なないとできない」音楽がある。それは彼らや彼らの作品が「本物」として現在進行形で息づいているから、つまり、現在進行形で彼らの手により新しいものが作り続けられ、彼らが挑戦し続けているから、そこは「聖域=サンクチュアリ」であるため、他者は足を踏み入れることができない。(聖域というよりは、なわばりという表現の方がしっくりとくる気がする)

もし彼らの曲を演奏したとしても、彼ら以上の演奏というのは生み出せないからで、なんとなく引け目を感じてしまう。

しかしその作曲家が死んでしまうと、その獣臭いなわばりは過去のものとなってしまう。それをどう遺すかは、その後の時代の人々の手にかかっている。忘れ去られて放置されるのか、誰かの手によって時代とともに遺されていくのか。

作曲家によっては、生前にもたくさんの人に演奏される作品を持つ人もいる。それは、あらかたメロディや和音の進行、リズムが多くの人の心を打ち、共感を生み、表現の輪を広げていく。どちらかというと大きく開放された公園やテーマパークのようなもので、誰しも触れることができ、そして演奏を聴かせた相手の心にも届きやすい。

この違いをわたしたちクレモナは「プロダクト(製品)」と「クリエイティブ(芸術作品)」との差だと考える。

どちらが良い、悪い、という話ではなくて、プロダクトはより多くの人に触れられ、多くの人の役に立ち、楽しませることに存在意義がある。クリエイティブはそうではない。あってもなくても良い。しかしそこにある人間臭さにきっと価値がある。その匂いの中には、意志があり、試行錯誤があり、手垢がベタベタとついている。その人間らしい営みが芸術そのものと言えるのかもしれない。ピアソラも坂本も、確かになわばりを持っていた。

わたしたちクレモナは結成当初から「芸術の追求」を掲げてきた。

わたしたちは胸を張って芸術家だと言い切れる…ようになってきた。

坂本の死

そして今年坂本龍一が死んだ。彼がこれ以上言葉を持たなくなり、これ以上作り続けられなくなった。新しいハーモニーも、リズムも、もう坂本からは生まれなくなった。

そのなわばりは空き家となって数々の作品だけが遺っている。この価値ある作品と、この作品の中に込められた意思や言葉をわたしたちは自分たちの技法で取り出し表現することができるようになった。

彼の音楽的遺産を受け継ぐのは誰だと限定せずに、私たちを初めとする多くの今を生きるアーティストであるし、その手法は一つに限らない、というのが音楽の良さである。

そこで、今シーズン「クレモナ」は、坂本がピアソラをオマージュしたように、坂本をオマージュし、自分たちの語法で「新しいものを作り続ける」姿勢を踏襲し、次の時代の芸術の追求を行いたいと考えている。

大衆の側に

また、坂本の音楽の重要な要素である「大衆音楽」という観点を踏まえても、これまで通り、これまで以上にわたしたちの演奏・ステージ・言葉はいつまでも「大衆=お客さま」の側でありたいと考えている。

誰も取りこぼすことなく、否定することもなく、しかし、ピアソラの音楽がそうだったようにお客さま個々人の中での理解・共感・感動を得られるよう、余白の多いメッセージを今シーズンはお届けできるようにしたい。

ピアソラがいて、坂本がいて、クレモナがいる。多少、気性の荒いような系譜のような気もするが、「作り続ける」「挑戦し続ける」姿勢をわたしたちは受け継ぎたいと思う。

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