音楽を作り出す行為は何も作曲家だけが持っている特権ではありません。演奏家もその身体を通して音楽を作り出しています。でもね、考えて欲しいのですが、音楽を作り出すことはできても、新しい音楽を作り出すのが難しいんです。
新しい音楽≠誰も理解できない音楽
新しい音楽を作ると言うことは、これまでも多くの音楽家が挑戦して挫折し続けている問題で、広義では今まで誰も考えていなかったような音楽を意味し、その結果誰も理解できない物ができただけだったと言う結論が出ています。
また、狭義においては、新しいメロディーラインやグルーヴ感と言った物をさして、時々生まれますが、直ぐに真似されていつの間にか凡庸な表現になってしまうと言われています。
そこで、クレモナとして考えたのが、(簡単には理解できないかもしれないけど)”誰にも理解できるぐらいの湯加減で、多くの人が簡単に真似できないような音楽を目指す”ことにいたしました。
ここまでの戦略はバッチリ!
では具体的に何を新しくするのかと言いますと、多くの人が気が付かないようなこと、もしくは「どうでも良いよ」とスルーしてしまう細部に注目して、それを正面に引き出すことだと考えました。例えばクレモナでは「サウンド」について常に考えていますが、これ意外に考えていない人が多いんです。と言うより、言葉としての概念みたいな意味はわかるし、日常的に現場でも使用されている言葉ですが、改めて説明するとなると難しい言葉です。
なので、使う人や状況によって柔軟に変化する言葉でもあります。
サウンド≠音
でもね、音楽の制作の現場では固定されている概念でもあって、純粋に「サウンド=音」の表現にはならないことが多いです。例えば、「サウンドが良くなってきた」と監督が言ったとしたら、メンバーは全体の音の響きをさしていると理解します。逆に「音が良くないんだよね」と言えば、全体の話ではなくメンバー個人の問題であったり、あるいはマイクや音響機器の問題であったり、楽音以外をさしたりもします。
つまり、音と言われれば、責任はメンバー個人もしくは、演奏者以外の機器の問題となり、サウンドと言えば、全体の音の響きを指すことが多いとなります。
そして、クレモナではサウンドにこだわって音楽を作り上げると言うことを、正面に据えています。美しい音や、テクニックと言った問題をマスターしたから言っているのではないのですが、それらだけでは徹底的に足りないと自覚しているからです。
コンピューターでは表現できない部分
特にこれからの時代、生演奏をすると言うことは、コンピュータでは表現しきれない部分をブラッシュアップさせなければいけません。今後、生演奏と言うのが今まで以上に価値が表出するとは思いますが、それはトップのプロだけ。それ以外の演奏家は演奏以外に価値を見出すしかありません。見た目だとか、ストーリー性みたいなものになるのですが、それはクレモナにとっては馴染むような物ではありませんし、あっという間に消費尽くされる物でしかありません。
クレモナでは、サウンドを見直すにあたり、音価(音の長さ)を徹底的に伸ばすように訓練しています。自分たちで響きを付け足すと考えるとわかりやすいのですが、表現はそんなに単純ではなく、楽曲に似合った音の長さと響きを考えてサウンドを見つめ直す作業をしております。普通、そう言ったものはホールの残響任せにしたり、あるいは音響さんのリバーブを多用したりと解決方法はあるのですが、それでは表現はワンパターンになってしまいます。
お客さまの状態の変化をこまやかにキャッチする。
実際の現場では会場の広さも違うし、お客さまの人数も違います。もちろん季節によって着ている服の数や厚さも変化するので、リアルタイムに対応しなければいけません。さらに最も大切なのが、お客さまの状態なんです。演奏を聴いてすぐに暖まって熱狂的に反応すると言うことは、クラシック音楽の世界ではあり得ません。
お客さまが暖まるという事は、舞台上ではよくわかる瞬間なんですが、その瞬間を見逃さないでキャッチするのも、演奏者の実力です。幸いなことに、クレモナではお客さまの暖まる時間をより短くするということを、常日頃から考えてステージをしています。(クラシック音楽の演奏者では考えたりしない人も多く居られます)
また、そう言った心の変化をパッションという言葉で何となく語ることはクレモナではしません。そのためにサウンドを見つめ直し、自分たちが求める結果につながるよう、適切に音を作り上げていきたいと考えております。
だから、今シーズンのクレモナの音価は長めになっています。どんな現場でも最終的に自分たちの響きを確定させて音を処理しております。そう言ったあたりも、聞くときのご参考にしてもらえれば幸いです。
2021.10.06 監督かじくん
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