昨日は酷いピッチになってしまった。まるで、現代音楽を聴いているかのような気分になり、機嫌は悪くなるし、気分も悪くなるし、耳おかしくなるし、最悪な職場環境だった。
以前、ピッチが悪いと、「現代音楽のようになる」と、言ったことがあるけど、クラシック音楽のジャンルで、室内楽を演奏するということは、ピッチをよくしないと成立しないと私は考えている。
オーケストラのように、個々のピッチがバラバラでも、なんとなく成立するジャンルではなく、ピチッと合わせる事を要求する。当然、演奏家は神経を使うみたいです。
気が付かないレベルで悪いピッチに合わせようとする。
では、ピッチが悪いとどのように悪影響を及ぼすのかと言うと、人間の耳は柔軟にできているので、悪いピッチが目立っていると、その音に合わせようとするらしい。演奏者も気がつかないレベルで、上擦った音に合わせてしまう。
吹いている方が気がつかないレベルで、唇を締め付けてしまったりとか、苦しい音になってしまう。当然、演奏後は唇が痛くなったり、顎が痛くなったりとすることもある。
ピッチが合うというのは音楽の第一歩
一方、レッスンしている私はと言うと、音楽に集中したいのに、ピッチが気になって、大切な部分を真剣に考えることができなくなってしまう。「ピッチぐらいで、音楽作れなくなるなよ」というご指摘があるかもしれないけど、そんなに単純には割り切れない部分がある。
というのも、ピッチが揃っているというのは、最初の大切な第一歩だからだ。一歩目をしっかりと踏み出すことができなくて、前に進むことができないというのが、私の考え方だし、ピッチを無視していい音楽が成立しないということを、私たちは経験値として理解している。 だから、昨日の練習はしっかりと音楽ができなかった。
自分の耳が補正する恐怖
基本的に通しの練習をすることになったのだけど、ピッチが悪い中で、無理やり続けると面白い事を発見した。
それは、知らず知らずに悪いはずのピッチを気にしなくなるという現象だ。自分の耳が、補正するようになって、合っているような錯覚さえ覚えてしまう。この経験はこれまでもあったのだけど、昨日の練習では脳が悪いピッチを聴かないようしてくれた。明らかに違うピッチでも無視することができる。 これは、人間の生存本能なのかもしれない。恐ろしい。
という訳で、冷静に判断するために演奏の録音を聴くことにする。道のりはまだまだ険しい。。
監督かじくん
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