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意識なく演奏してしまうと、意識なく間違ってしまう。

『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ

 昨日はトリオでの練習だった。本番が近くになるにつれて、細部の練習を反復して取り組む事がよくある。できていない箇所を何度も、何度も、という感じ。一般的にプロの演奏者だったら、譜面がさらえてなければ、個人的に練習するだけのことだけど、少人数でのアンサンブルでは譜面上では問題ないけど、音楽を進める上では重要になっているという箇所がたくさんある。それは、個人的な練習ではどうしようもない箇所でもある。

 そのため、仕上げの最終段階に入る時は、いつも同じ箇所を徹底的に作り込む練習となる。これが、集中力がかなり必要とするし、拍単位で細かな指示が出るので、気を抜く場所が無く、かなりの精神力を求められてしまう。

 ピリピリとした環境下では、演奏する方も、監督もイライラとする時間になる。

 さらに、そんな神経戦の中で、ピッチのことをグチグチと言われ続ける。ただでさえ、ピッチを合わせにくい季節になっているのに、常に注意される。

 これが、プロフェショナルの練習だ。

 生身の人間が、多くの人に娯楽を提供したいと思うのなら、縦の線にしても、ピッチにしても、バランスにしても、音楽的な解釈にしても、全てに神経使って、命を鉋で削るような気持ちになって演奏する。さらに、そこに新しいクリエーションを織り込んで、音楽を前に進めるよう求められる。

 しかも、本番は一回こっきり、常に最良の状態で演奏することが求められてしまう。

 そのために何よりもイメージが大切になってくる。

 「意識なく演奏してしまうと、意識なく間違ってしまう。」この言葉は以前にも言ったけど、意識がないというのが、絶対的にダメ。

 では、どうしたら意識を持つことができるのか、昨日はその辺りのお話をした。

 一般的に、音楽大学では演奏の技術は教えてくれるけど、音楽的なアナリーゼはあまり教えない。もちろん、基礎和声という名前の授業か何かで、古典的な楽語を使って、聴音をしたり、ソルフェージュをすることはあるみたいだけど、実戦で使えるレベルで、その古典の技術を習得した演奏家は、ほとんど見た事がない。

 「属七」や「1の46」や「サブドミナント」や「セブンス」など、細かな言葉を覚えているけど、これらの違いを明確にしている演奏家は少ない。

 つまり使える技術になっていないのに、演奏の現場では求められてしまう。

 当然、クレモナではその辺りを徹底的に叩き込むのだけど、さらに発展させて「ヴォイシング」について考えることを求めるようになった。かなりの進歩だ。今シーズンでは、クレモナの響きについてしっかりと考える内容になっており、当然素晴らしい仕上がりになると期待している。

 そのために、今の苦しい練習を実のあるものにしたいし、豊かに収穫できるように取り組んでいる。楽しみにしていてほしい。

監督かじくん

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