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歌い方について

『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ

 昨日は、トリオでの練習でした。定期公演に向けてしっかりと取り組んでいます。本日は演奏の表現について少し説明いたします。

 器楽をされる方ならレッスンで「もっと歌って」と注意をされた事があると思います。特に上級者になるとよく言われるポイントでもあります。そんな場合、ほとんどの生徒は、音が大きくなり、ヴィブラートが増して、息(弓)をたくさん使って演奏してしまいます。これが、「歌う」ことだと考えている演奏家もいますが、それは本質的に違います。

具体的に「歌う」ということは

 まず、大前提として音量が足りない時や、息(弓)が足りていないと先生が判断する時に、「歌って」とは言いません。具体的に伝わるように指示をするのが、優秀な指導者とも言えます。この辺りが少し難しい。

 では、「歌う」とはどういう事なのか、少し考えてみましょう。多くの人が経験値として抱いているのは、旋律を表現する時に注意される事象だと思います。

 では、「旋律」について考えてみたいのですが、旋律というのは音階で構成された音の進行であり、その進行には順次進行つまり隣の音へ進む進行と、跳躍進行つまり隣以外の音へ飛ぶ進行の組み合わせということになります。

 ただ、音階を演奏しても、または跳躍した音を演奏するだけでは旋律とは、多分言えません。(今の時代、少し分からなくなってきています)

 この両者だけでは旋律とは言えません。そしてこの両者に共通するのが「歌い難い」という事です。「跳躍した音の並びは大切な音楽表現だ」という方も、最近はおられるので、ここで論争はしたくはないのですが、私は「コールユーブンゲン」を面白く感じた事がないので、この話はこれまで。

音階について

 さらに、音階の練習は大切だし必要な練習ですが、旋律を表現するのにも、調性感を理解するのにも、必ず必要なのかと言えばそうではないと、私は考えております。

 これには多くの意見が出てきそうですが、例えば、「涙そうそう」にしても「ハイサイおじさん」にしてもそうですが、沖縄の音階を理解していなくても多くの人が歌えると思うんです。

 それはどうしてかと言うと、「歌いやすさ」があると思うんです。歌いやすい旋律なら、初めて聞いた音楽であったとしても、多くの人が楽しむ事ができます。逆に素晴らしい音楽であったとしても、難しい旋律は初めて聞いた人には十分に楽しむ事ができないかもしれません。

 例えば、シューベルトは600曲以上の歌曲を作曲していますが、「子守唄」以外を歌える人はかなり少ないと思います。それは、シューベルトの歌曲が難しいから、歌えない、あるいは理解でき難いからです。

 つまり、指導者が演奏を聴いて、「理解不足の演奏」をしている時に「もっと歌って」と注意されると私は思っています。

 演奏者が自分の演奏している楽曲への理解が進むと、このような指示は入らないと言うのが結論です。そして、演奏者が理解していなければ、聴衆には伝わらないとも言えます。

 この辺り、クレモナが後一歩足りていない部分なのかもしれません。

 来週はもっと楽しい練習にしたいと思います。

2022.10.18 監督かじくん

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