Listen to the Coffee,the Music and Cats.五感で楽しんでいる日常

BLOGコーヒーと、音楽と、猫のこと。

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第14回定期公演を終えて

監督日誌

定期公演、無事に終演いたしました。ご来場くださった皆さま、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 ここで少し、僕の考えをお話しいたします。

音楽を細切れで聴く文化

 多くの人が日常生活で音楽を聴くということは、スマホを通してイヤホンでいくということが一般的になっています。聴く環境は通勤電車の中であったり、ちょっと前までは、CDというメディアを使って聞いていたものは、今はネット環境下ならどこでも手軽に聴けるようになってきました。

 なので、「音楽を細切れにするためらい」などなく、簡単に勝手に中断したりできます。「大好きなアーティストの演奏だから」とか、「一生懸命、頑張ってレコーディングしたのだから」という理由で、「最後まで聞かなくては気が済まない」という人は誰もいません。

 着メロなんかが出てきた時から漠然とした違和感を覚えていたのですが、もし好きなアーティストの音楽を着メロにしたら、途中で切らなければいけません。どうして、そんなことができるのでしょうか?

 着メロを自分のスマホに採用している人にとっての音楽と、僕が考えている音楽は違うものだとうと思ってしまいます。控えめに言って、音楽をシグナルにすると言うことは、パブロフの犬みたいなものだって思います。

歴史的・文化的な文脈の中で音楽を聴く

 さらに、音楽を聴く楽しみということ私見をお話しします。

 音楽を聴くということは、常に、何らかの歴史/文化分脈の中で聞いていると思うんです。逆にいうと、背景について全く知らない音楽は、よくわからないことの方が多いように思います。

 例えば、多くの人にとってポピュラー音楽が分かりやすいのは、その分脈が人々にとって身近なものだからだと思うんです。逆にクラシック音楽が難しいのは、歴史や文化の背景が、かなり遠いところにあるのだと思います。

 一方、クラシック音楽が大好きな人からすると、200年以上にわたるクラシック音楽の受容史の中で形成された規範でそれを楽しんでいるのではないでしょうか。なので、長年培ってきた演奏習慣や、マナーなどに重きを置くのもそういった文脈で語られていると思います。

 今回も、クラシック音楽の表現の現場で音響芸術を取り入れることに対してのご意見・ご批判を頂戴しました。

 その辺り、定期公演のプログラムでしっかりとお伝えしておりますので、ぜひご一読ください。

歴史的文脈から考えると、音響芸術は否、なのか

 作品にへばりついたイメージをバッサリと切り捨てたサウンドに「カッコ良さ」を感じている僕たちからすると、その議論はすれ違いで終わってしまいます。

 クラシック音楽の演奏は「生演奏が良いのか」、「音響芸術を取り入れた演奏が良いのか」。この場合、「歴史文脈」が有効に働くことが多く、後者は極めて部が悪いようい思います。

 ただ、今後問題になるのは、新しい創造への寛容さの態度にあるのではなく、これからのクラシック音楽の行く末にあまりにも無頓着であることだと思います。

 いずれにしても、音楽について話をしようと思う限り、常に何らかの歴史的な文脈を参照せざるを得ないし、僕たちの「心の図書館」にある音楽をデコードする営みだと思うんです。

 もしかしたら、クレモナの音楽というのは、会場で聞いている音楽を、歴史と文化の遠近法の中で考えるという楽しみなのかも知れません。

 ますます分かりにくい解説になってしまいました。ただ、今後もしっかりと音響芸術と融合させた新しい表現をしていきたいと考えております。

今年のテーマは「静寂」

 今年の僕たちのテーマは「静寂」です。次回の定期公演ではお一人、お一人に感じ取ってもらえる「静寂」について探究していければと考えております。似ているけど、「孤独」と「一人」は違います。その辺り、客席で感じ取ってもらえるように仕上げていけるよう努めてまいります。

 次回の定期公演でも、お会いできることを楽しみにしております。

2023年6月17日 監督かじくん

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