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音楽監督の役割について

監督日誌

富士山から無事に帰ってきた翌日、早速練習が始まりました。シーズン前半の集大成である定期公演に向けての練習が始まったということです。

定期をするホールは、ザ・フェニックスホールと言って素晴らしい音響特性のある国内有数の室内楽の専門のホールです。室内楽のナチュラルリバーブによる生楽器の響きという点では、国内では唯一無二のホールだと思うんです。

しかし、クレモナのライブでは、ライブ・ミキシングでもっとクリアに音像を作り上げることを目指しています。基本的に音楽もダブ音響で作るようになっています。

一見、両立しないことを言っているように思われるかもしれませんが、両方の特性を高いレベルで実現させるのが、クレモナの定期公演です。

そのために、まずは持ち前の超絶技巧を磨け上げる作業と、音色、特に明瞭さを表出させることに注力したいと考えております。これが、クレモナの唯一無二の存在に押し上げてくれると僕は信じて取り組んでいます。

音楽監督は水先案内人

とはいえ、テクニックばかり身につけているクレモナには、その弊害もあり、演奏できるようにはなるけど、その先にある音楽的に何をしたら良いのかが分からなくなっていると思う時があります。

きっと、演奏するのは楽しいのだけど、何をすれば良いのか分からないという事もあるみたいで、もしかしたら練習自体が嫌いになるという現象にもなっていると思うんです。

だからこそ、しっかりと音楽を勉強しないといけないという事になるのですが、これが意外に難しい。僕は、そんな迷える演奏家の水先案内人として機能する者だと思っています。

音楽的な創造のアイデアというのは、大量のインプットにある

これは、僕の経験に基づく考えです。しかも、僕の場合、インプットのそのほとんどが音楽と、その周辺領域による物だと思っています。

また、自分の立ち位置がはっきりと示されるので、インプットというのは、それ自体が批判的な行為だといえます。(そう考えない人もたくさんいますが、それは間違いです)

しかも、一つのジャンルにこだわる事なく、他のジャンルを横断してインプットすることがこれからの演奏家に求められていて、演奏家として学ばなければならない事は非常にたくさんあります。

自由には制限はない

また、演奏においてはより自由であるべきだとも考えています。たくさんのインプットから導き出される演奏を、より自由に表現するという事が、非常に難しい課題で、そのために多くの努力をしなければなりません。

さらに、自由には制限はないとも考えています。

演奏における自由というのは、その部分の役割を冒す自由であり、生きた人間が楽譜に生命を吹き込む作業でもあります。なので、演奏している作品そのものになりきる時、僕たちが考えるのは、作曲家がそこで考えた音楽を感じる作業であり、その作品を完全に受け入れるという事は、自分がそれを経験するという事になります。

そして、その自由の素晴らしさをメンバーに実感してもらいたいと思うのですが、それが非常に難しい。

言葉で表現しても、理解に苦しむだけのようにも思えて、監督としての腕を試されているように感じています。

そして、作曲家が楽曲に込めた「マインド」を瞬間ごとに引き出して、聴衆とその感動を共有すること。演奏家として生きていく以上、絶えずクリエイティブな存在であらなければなりません。

今回の定期公演では、さらに進化したクレモナの演奏を楽しんでいただくために、音楽スタッフ一同、しっかりと努めてまいります。

ぜひ一度、公開練習にも足をお運びください。

2023年9月9日 監督かじくん

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