久しぶりの4人での練習となりました。定期公演まで練習回数にも限りがあるので、1回の練習であれこれと詰め込む内容となっており、細かなニュアンスなどは後から録音を聞いて再確認するのが、クレモナでは日常的なルーチンになっております。
後から聞き直して、「縦の線」や「ピッチ」など、演奏者として修正しないといけない箇所を見定めるのは、非常に大切な事で、監督である私も必ず聞き直しをしています。
今回、坂本龍一さんの作品を手掛けるというのが、めちゃくちゃ楽しいのですが、有名な作品なだけに、簡単にネットなんかで売っているような楽譜を手に入れて、本人の演奏などを参考にして演奏するというがすぐにできちゃいます。
でも、それでは「劣化したコピー」。
今回の定期公演のタイトルは「オマージュ」。そこらにある「コピー」演奏との違いを、徹底的に披露することを大切に取り組んでいきます。
本日は、その辺りの解説します。
坂本作品を「オマージュ」をするというと、「自分のものにして表現する」という言葉と同義語です。
言い換えると「パクる」という事です。
一方、「コピー」というのは、「真似る」と言うのが適切ではないでしょうか?
「パクリ」と「コピー」の違い
本人の演奏や、その動画などもたくさん残されているので、坂本さんの表現の上っ面の薄いところを抽出して、なんとなく真似てみました的な演奏って、誰にでもできちゃう事だと思いますが、それが芸術だと言えるのかは不明。
もちろん、「真似る」というのは、演奏家としてのキャリアのスタートでは大切なスキルだとも言えますし、もれなく全員がたどる道でもあります。
でも、それだけでは徹底的に不十分だし、それだけしかできない演奏家が非常に多いと危惧したりもします。
例えば、バッハの時代から現代曲までそれなりに演奏できるし、往年の演奏家○○氏の演奏もそれなりに再現できるという人は、音楽大学での成績はかなり優秀な人だったと思うんです。音楽大学を首席で卒業して、その演奏は、減点が少ないのだからからコンクールなどでもそれなりの成績を残したりもします。
でも、そこまで。
それ以上の評価はされることはありません。
理由は簡単、「劣化したコピー」だからです。
一方、学生の時は全く優秀でもなく、ごく普通な生徒が、ある日ピアソラの音楽に、自身の可能性を見出して、その世界観に没頭し、人生かけて取り組む。
当然、前者とは違って不器用な点は多々あったとしても、探究するという努力を継続していき、ようやくその作品の本質に迫る「パクった」演奏ができたとしたら、それは唯一無二の演奏だと言えると思うんです。
大切なのが、「パクれる」かどうかだと思うし、要は自分の物にできることが大切だということです。それが結構難しい。簡単にはできません。
さらに言うと、多くの演奏家が、市販されている楽譜を見るだけで、その中にある情報だけを頼りに演奏している。あるいは、他の優秀な演奏を聞くだけで、その演奏を真似ている。自分の演奏がどういう性質なものなのか、考えようとしていないと思うし、結局は自分で何も決めていないという事だと思うんです。
そういう演奏を芸術と呼んで良いのか、僕は疑問に思っています。
音楽というのは、奏でるという作業の前に書くことが必要だし、考えることもメタのレベルで求められるのが、これからの演奏家だと思うんです。
そういう意味において、クレモナは坂本龍一さんの作品を「オマージュ」できるようになってほしいし、多くの人に「オマージュ」をお届けできればと願っております。
今回の定期公演、めちゃくちゃ期待してください。
これまでにない、坂本龍一ワールドをご披露いたします。
2023年10月28日 監督かじくん
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