「もし出会わなかったら、気付かないままで終わる世界もあって、そういう意味で音楽というのは自分の内的世界を照らすような光なのかもしんないね。」
「才能はね天から授かるものでも、親に付けてもらうものではないのです。無理やり自分で見つけて、その手でつかむものです。」
「The best way to talk about music is to be quiet about it.」
音楽を志したのは、実際のところ、大学3年の終わりに起きた、からだのトラブルの後だったと思う。それまでは音楽家なんて夢でしかなかったし、まったく現実的な仕事としての音楽をしようとしていなかったと思う。
『ピアソラをやろうと思うんだけど』という監督の言葉がなかったらわたしはそのままだっただろうし、なんでそこでピアソラだったんだろうって、なんでわたしにピアソラを提案してくれたんだろうって、あの頃からは変化しながらだけれども、答えが見つかり始めている。
ピアソラを学ばなければそれ以前にモーツァルトもベートーヴェンも何もかも勉強しなかったと思う。きちんと考えなかったと思う。それから、演奏も、ずっとひとりよがりなものだったんじゃないかなって思う。
こうして、21世紀のクラシック音楽と、演奏家のあり方を考えて実践していったり、演奏家の発信に耳を傾けることで、自分に出きることできないこと、出きるだろうこと、いろんな事が湧き水のように出てきている。
これを一筋の川にする段階が始まっている。うまく流れてほしい。
自分たちの演奏は、タケミツやケージやライヒの世界ではきっと通用しない。そう、(……音楽について話すときに一番良いのはなにも言わないことだ。)
「カバとカバは愛しあえるし、お互い意識していると思うけど、カバとライオンは愛し合えない。自分にとって前衛音楽というのはそういうものです。他人でしかない。」
わたしたちクレモナは風に立つライオンでありたい。カバには傾倒しない。ライオンの音楽を、いざ、東京で。
(2018/11/01)
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