昨日は、トリオの練習だった。レコーディングが終わり、10月の奈良での公演の練習を再開した昨日、気合が入っていた。
やる気に満ちた演奏と考えながら、やっぱり地道な練習となってしまった。アンサンブルの練習は相変わらず神経戦でしかない。
さて、トリオでの細かく見る部分は、同じパッセージの縦のラインと、ピッチがそのほとんど。昨日は全てだったかもしれない。特に、楽曲のクロージング(終わり方)を徹底的に見直す時間となった。
実に下手くそだった。
「下手くそ」という言葉はネガティブで、「慎重に使わないとならないのか」と、深く考えてしまうくらい、「下手くそ」と言いたくなる演奏だった。これが、自分が仕込んでいない、他所の団体に対していう言葉ならNGなんだけど、監督している私が、自分の感想を素直に表現するのがNGなのか考えさせられる演奏だった。
それで、私は実際には「下手くそ」とは表現しなかった。そうしたらどうだろう。感想がどんどんと抽象的になってしまい、統一した意思を持って演奏しにくくなってしまった。これでは全く意味がない。
そこで、思い出したのが、ピリス先生のピアノのレッスンの動画。やはり優秀な指導者は、言葉を選ぶセンスが卓越しているのだというのが、理解できた。自分がまだまだだと改めて実感させたれた瞬間でもあった。
次回からは言い方を考えていたいと思う。
そこで、「下手くそ」の定義について考えることにする。
私が最も大好きなピアニスト、ホロビッツの名言から「ピアニストには3種類ある。ユダヤかゲイか、あとは下手くそだ!」(あくまでもホロビッツの言葉を引用しているのであって、私が前二者に対して差別的な意見を持っているのではない)
なるほど、これはホロビッツが自分のことを言っているということなのだろう。確かに、ホロビッツはピアノの神様でもあったけど、初来日では結構ボロボロの演奏をしたりして、コンサートの出来不出来が非常にある人だった。
前二者については、ホロビッツの出自や個人的な趣味なんで、ここでは言及しないけど、はっきりわかっているのは、全てホロビッツ自身に当てはまることだということ。
もう少し言うと、「下手くそ」と言うのは、上手な演奏ができるのに、ちょっとしたミスなどで、集中力が落ちてしまい、完成度が低下する勿体無い演奏をする人のことなのかもしれない。
だったら、昨日も素直に「下手くそ」と言えば良かったのかもしれない。
ホロビッツがしっかりと言っている言葉、つまり神様の言葉なんだから、使っても問題ないって言うことだ。
つまり、クレモナの演奏は実に勿体無かったとも言える。次の練習ではそのようなことの内容に願うばかりだ。
2022.09.20 監督かじくん
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