自然に聞いてもらうために、不自然なことをする
この日の練習は、三人での練習になりました。サウンドについてのおさらいがメインだったのですが、演奏時に起っている些細な瞬間に気を配ることの意義について細かく見つめる内容となりました。
意識しなくて正しい演奏をするということは、意識しなくて間違うことと同じだと考えております。少なくとも、なんとなく正しい演奏をするという感覚は無くして欲しいものです。
つまり、お客さまにより自然に聴いていただくために、演奏としてはたくさんのことを考えなければいけないし、不自然なこともしなければいけないと言うことです。
感動に向かっていくのがコピー
素晴らしい演奏を聴いた時、思わず涙が溢れるように、胸が熱くなる時があります。後日、同じ曲を全く同じように自分で演奏しても感動はしません。
それは、インプットしたものの再現ではなくて、インプットした時に感じたものを再現していないからだと思います。心でどう感じたとか、匂いだとか、感性に関わる問題が最も大切だということです。
そうしたら、いったいその感動した演奏と、自分の演奏では何が違うのかという疑問になると思います。
ようく細かく聞いてみると細部の音のニュアンスや処理の仕方が違っていたり、それを発見して取り入れた時、自分の演奏にワクワクして感動することがあると思います。コピーというのは単なるモノマネではなく、その感動に向かってコピーしていくものだと言うことです。
そうすると演奏に嘘が無くなります。
なぜなら、自分がワクワクしているのだからです。
それを人に伝えていくのが演奏家という仕事だと思います。
わざわざ時間とお金をかけてコンサートに人々が来る大切な意義がそこにあると思います。
お客様に何かを持って帰ってもらえるようなコンサートにするためには、何かがそこで化学反応を起こすためには、演奏家自身がその気持ちを持って演奏しないと嘘になると言うことです。
ただ上手な演奏だけではもう価値はない。
今の時代、いくらでも上手な演奏をする人はたくさんいます。もちろん、上手な演奏だけを聞きたいという人はたくさんおられると思うんです。でも、音楽家としてはそれだけでは不十分だと思います。
より多くの人に、より多くのものを持って帰っていただくために、本質に近づいた演奏を心がけたいと望んでいます。
そう言う意味において、今のクレモナはさらに向上していけるように、細部まで徹底的にこだわったステージをしていきたいと考えております。ぜひ、定期公演のチケットをお願い申し上げます。
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