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語ることの必要さ

『クレモナ』モダンタンゴ・ラボラトリ

この日の練習は新しい楽譜からの練習になり、全員で譜読みをしました。これまで、どうしてもバランスを考えての譜読みばかりにとらわれて、音楽の表現についてしっかりと意識を統一していなかったと反省をした練習でもありました。

強弱記号の表現について

 まず、今シーズンは「静寂」というテーマに音楽を考えているクレモナですが、音楽では強弱を表す記号があり、演奏者はそれぞれの記号に忠実に表現しようと思います。例えば、「f(フォルテ)」なら、しっかりと息を入れて豊かに大きく演奏します。

 これは、間違いではなく正しい奏法なのですが、クラシック音楽を考える上では不十分とも言えます。本日はそんなお話を解説いたします。

イタリア語から生まれる音楽用語

 一般的に音楽用語の多くが、イタリア語の単語からできています。特に速度を表す記号(ラルゴやアレグロと言った言葉)や、表情を表す記号(エスプレシーヴォやスタッカートなど)では、動詞や形容詞が語源になっていることが多い印象です。

 しかし、強弱を表す記号では、勝手が少し違います。

ベートーヴェンはかく語りき?

 これは、ベートーベンの弟子のチェルニーが《演奏について》という著書の中で言っていますが、強弱について、ピアノは「愛らしくてやわなかく穏やかなもの」と定義されていますし、フォルテは「独立心に満ちた決然とした力」とされています。

身体的な感覚の連想=言語化すること

 今日のように、抽象的で普遍的な用語になる前は、身体的な感覚の連想を伴って表現されていたのがよくわかります。つまり、非言語的な文化というのは、それについて語る言語的な文化と一緒に生まれて育ってきたのことなのかも知れません。(これは私の勝手な仮説で一度ゆっくりとお話ししますね)

 もちろん、日本の伝統芸でも、三味線の「さわり」や、相撲の決まり手の「つっぱり」でも同様に、身体的な感覚を伴った言葉が使用されています。

 ジャズも身体感覚と親和性があって、スイングやグルーヴ、クールと言った表現は、普通にクラシック音楽の現場でも共通語として使われています。

 一方、今日のクラシック音楽では、客観的な専門用語が大量に発展してしまいました。その結果、身体的な比喩が単なる抽象的な使われ方をするようになりました。(もちろん、専門用語がないと共通理解ができないのですが…)

 これは私たちの世代が教師になって、音楽の教育現場において、音楽を「すること」と「きくこと」ばかり教えていった結果で、「かたること」を指導してこなかったことに起因しているのかも知れません。

 また、多くの学問でも同様ですが、自分の行為(私たちの場合は演奏を指しています)を批判的に見れないために起こる理解力不足、つまり独りよがりなものになると、私が尊敬する東野芳明が著書でも言っています。(東野芳明先生の話は練習時にじっくりします)

身体的な比喩

 ということで、この日の練習では、強弱の指示において、メンバーと私との間に共通理解が存在しないという問題から出発し、身体的な比喩を共通認識で捉えるように進めることをテーマにしました。

 もちろん、明確に誤解のないよう「あと10dB音量を上げて」という指示も可能ではあるのですが、それでは単なる物理現象の1パーツの表面的な指示に終わってしまいます。生演奏をしている現場では、単に音量を上げるだけでは正解にはなりません。

 大切になってくるのが、どういう身体全体の構えと感覚が必要なのかを共有することが最も適切だと思います。

異なる人間がアンサンブルするコツ

 私なりに考えを整理すると、身体の共振を作り出し、それまでバラバラだった、各自の気持ちや動作において、他者との間の身体的な波長を揃えるという意味になります。

 つまり、生身の人間がアンサンブルをする事の再定義をする必要があるという事です。

 具体的には、フォルテは日本舞踊の言葉を借りてきて「腰を入れて表現する」と言ったりするのですが、何も考えず、何も感じず、ただ外面的な動作だけではならないということです。

 この辺りの比喩の事例については、ぜひ公開練習にお越しいただいてご覧ください。

 定期公演に向けてさらにクリエーションをしていきます。皆さまのご来店、心よりお待ち申し上げます。

2023.04.13 監督かじくん

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