本日は久しぶりに4人での練習となった。やっぱり、4人もの人が集まるとピッチが気になって仕方がない。当然、ネチネチと注意をするのだけれども、正しいピッチで演奏するためには、楽曲への理解が不可欠になってくるので、本日はその辺りを説明したいと思う。
まず、曲に対しての理解だけど、単にその曲の調性やテンポといった問題は、大切に正しく考えなければならないのだけど、それを持って理解しているのかと言えば、徹底的に足りない。
さらに、曲の持っている印象だとか、その音楽の方向性などと言うものは、単に「その楽曲の今を切り取っただけでしかない」と言うことを理解しなければならない。もちろん、今を表現した解答でも、正解はもらえる。
ただし、どれだけ完璧な正解だったとしても、スキのない美しすぎる音楽は、完璧であるが故に物語はそこで終わってしまう。どのように、比喩を使って表現したとしても、共通の認識が深まるだけで、周辺をぐるぐると回るだけ。本質的なことは理解していないという無知を曝け出すだけ。そう言った回答は、感心した結果には結びつかない。
だから、今を切り取るような事は、優秀な演奏家は絶対にしない。
では、どうすれば良いのかというと、これが非常に難しい。作曲されてから数十年以上経っているし、クラシック音楽という系譜からピアソラを考えた時には、何百年という変遷を経て今日に至っているからだ。 真の意味を追求するのが演奏家であり、それを追い求めていくのが「夢」だと思う。その回答は、ぜひ本拠地「ルーク・カフェ」の公開練習を見学してもらえたら直々にお伝えすることにする。(あまりにも大切な事なので、ただでは教えられない)
音楽家の「夢」について
さて、「夢」についてもう少しだけお話をしたい。音楽で身を立てるという意味において、また好きな事ばかりできている意味において、よく「夢を叶った」と表現することがある。
でも、これは決して「成功」という意味ではない。若いうちは、「夢」と「成功」を同じ意味で扱うけど、そんなものだけが、「夢」だとは思っちゃいけない。クレモナのメンバーも卒業して、キャリアを積み上げてきているので、その辺りを理解しなければならないと私は考えている。
クラシック音楽の系譜の中で、キャリアを続けていくということの使命というのがあって、もっと深く理解しなければ、到達できない事がたくさんある。現代に生きる人間として、後世に音楽を残していくことについて、見つめ直すシーズンにしたいと思っている。
それが、生身の人間が演奏するという事だと思う。機械では教えてくれない、多くの人が、どうしても人にやってもらいたい行為が、「演奏」だと思ってもらえるよう、スキルを身につける作業を徹底したい。
8月のシーズンでは、また新しく成長したクレモナを楽しんでもらいたい。
コメント