昨日から位相についてお話をしていますが、本日もその続きからです。
マリアージュ
アンサンブル(室内楽)の場合、演奏する音をしっかりとブレンドすることを大切にして音作りをしていますが、それを”マリアージュ”と言ったりもします。
結婚式場の宣伝文句にもなっているので、言葉は浸透しているかもしれませんが、これを「奇跡の出会い」だとか「運命的な出会い」と大袈裟に言ったりしているのを見ますが、感心しませんね。
音楽においても、ワインにおいても”マリアージュ”というのは「収まるところに収まった」というか、そんなお似合いの二つの現象を指して表現します。さらにクレモナの場合、ピアソラを演奏する時、”マリアージュ”を考えると、必ずではないのですが”懐かしさ”みたいなものが多くあります。
まるで、幼馴染の結婚式に出席した時のようなイメージを抱くことが多くあります。どうしてでしょうか?
「マリアージュ」という高級感?
さて、クラシック音楽においても”マリアージュ”という言葉を多用する評論家が多くおられます。最近では評論家だけではなく「オーケストラと日本酒のマリアージュ」というタイトルでCDを発売されたりもしていましたが、もちろん結果は感心できたものではありません。
それはどうしてだというと、一流のものを求めすぎているように思います。先ほども言ったように、”幼馴染の結婚式ぐらいの懐かしさ”と表現したように、過度の装飾や、身の程を超えた一流への追及は、結果を伴わない修飾語でしかないからです。
確かに、一流と呼ばれるような表現には凄い説得力があります。ワインの世界では畑のレベルが高く、凝縮した果実味豊な物や、今流行っている新樽を使って樽香で厚みを表現したものは当然、最高のワインとして多くの人に愛されます。
合わせることが「マリアージュ」、でもない。
ただ、他のお料理と合わせた時に”マリアージュ”が最適だというと必ずしもそうではありません。他者のいいところを消して、しかも悪いところまで強調してしまうということは日常的にあり得ます。
クレモナでは常に”マリアージュ”を考えるのですが、その組み合わせで最も尖った表現ができるのがピアソラの「フーガと神秘」という作品です。フーガ、つまり対位法で作られた部分を、木管四重奏のスイングで表現したいと考えております。
恐らく、クラシックの世界で木管楽器の四重奏あたりで本格的なスイングを試みている人は少ないと想像します。リズム楽器や鍵盤楽器がいると別なのですが、この4本の楽器で表現するのは、本当に苦労します。
この楽曲をステージ聴くと絶対に驚かれると思うんです。一体何人で演奏しているのかわからなくなるような表現。まさに”マリアージュ”であり、収まるべくして収まった結果の演奏ということです。
是非とも、2部に演奏するこの曲を楽しみにしていて下さい。
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