レコーディングの後、10月の奈良のコンサート、そして12月の定期公演に向けての練習が始まった。メンバーも気持ちを切り替えてしっかりと練習をして次のステップに繋げたいという気持ちで、気合は入っていたと思われる。
まずは、「ジョ・ソイ・マリア」という今シーズン、気合を入れて取り組んでいる楽曲の通しからとなった。その曲の冒頭で、意外なことが判明したので、備忘録的にここに書くようにする。
スタッカートの聴き比べ
それは、クレモナが、絶望的にスタッカートが下手くそだということだ。
ここに、2つの動画をご紹介する
ストラビンスキーの楽譜には、明確に「スタッカート」という指示は書かれていないが、この楽曲の冒頭はスタッカートで演奏するのが一般的。
はじめの動画は、スタッカートでの指と腕の動きがわかる程度に見てもらえれば良い。勝手にグリッサンドにしたりと、個人的には好きではない演奏だけど、参考になると思う。
また、二つ目の動画では、冒頭の和音の連打が美しく演奏されているし、スケールのランも見事な演奏だ。ただ、曲が進むにつれて非常に重たくなり、テンポは完全にもたついているので関心しない。
やはりスタッカートは難しい。
スタッカートの言葉の意味
ここで、原語であるイタリア語を紐解くと少しヒントが見えてくるのだけど、元々スタッカートというのは、「分ける」という意味が含まれている。この事を、以前アバドがシェルという小さなパスタをきり分ける真似をして、解説したものを見たことがあるのだけど、簡単にいうと「ちぎって分ける」ことになるらしい。これなら理解できる。
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ムストネンというピアニストの演奏は、跳ね上がっているのがようくわかると思う。腕を「ポン」と跳ね上げているのが、動画からわかるけど、音色もしっかりとスタッカートになっている。
これくらい管楽器でもやってほしいところ。そうすると曲相が全く違ってくるので、今後のクレモナの大切なポイントになりそうだと思う。
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これは、やりすぎのスタッカートで、ここまですると面白い演奏と思えるかの判断が難しい。私個人としては、かなり評価をしているのだけど、酷評している評論も目にする。
さて、ここまで来てようやくスタッカートについて少し理解が深まったと思われる。つまりスタッカートは短く演奏するのではなく、「切り離す」つまり、前後の音と「分ける」というニュアンスの方が大切だということだ。
『クレモナ』の暗譜はどこまで暗譜できているのか?
一方、クレモナの場合、暗譜で演奏しているので、自分の楽譜のどの部分がスタッカートなのか、全て把握できていない演奏だというのが、私の感想。
これは、楽譜を前にしている練習でも同様で、暗譜して曲の構造や演奏習慣が身についてしまったために、細部のディテールをこだわるという姿勢が欠如されてしまっている。これでは、感心する結果は得られないし、面白い演奏とも言えない。
次の奈良公演では、この辺りしっかりと押さえて、上質なスタッカートをご提供できるようにしていければと思った。
2022.08.29 監督かじくん
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