本年初めての「公開練習」でした。配信をご覧になられたお客さま、ありがとうございました。
さて、シーズンの後半に向けて取り組みが始まっているクレモナですが、どんどん新しい表現が求められるようになっております。若手演奏家を指導する時にいつも思うのですが(クレモナはそろそろ若手ではなくなりつつありますが…)、一つずつ階段を上がっていく、そういうステップアップが大切だと思うんです。
一段飛ばしや近道はありません。一歩ずつ自分の足で進まなければいけません。なんだか、「トレッキングと似ているなぁ」って思う時があります。(実は、4月に屋久島に行く予定です)
フィールとタイム感
今クレモナが直面している表現上の問題というのは「フィール」と言われる感覚的なものから派生する「タイム感」と呼ばれている演奏時における時間の捉え方です。
これが非常に難しい。でも面白い。
この問題は、音楽をする人ならずっと考えなければならない大切な問題です。
子供って大人が答えを窮することを尋ねたりするじゃないですか?「どうして空は青いの?」って質問されても困ることってあるじゃないですか?
「それは、この世の中が大きな巨人の目の中にあるからだよ」と、大人が誤魔化してもすぐに見抜かれてしまいます。逆に「なら、どうして海は青いの?」という質問が返ってくるかもしれません。
しかし、世の中には簡単には答られないことがたくさんあります。大人として軽々と断定的なことは言えないこともたくさんあります。(特にサンタさんの謎は慎重になります)
芸術の理解ってそれと似ていると思うんです。
芸術理解を語るうえで、初期の段階(子供の時)から同じような疑問を抱き続けている演奏家が多くいると思いますが、納得のできる答えを誰も与えてはくれません。あれこれと人のレッスンを見たり、本を読んでも、真正面から疑問に答えてくれるものには出会えません。
「タイム感」とは?
「タイム感」というのは、そんな素朴な疑問から派生し、常に演奏者に重く問題としてのしかかります。もちろん、そんな問題にも気が付かない演奏者もいますが、そういう人は絶対に大成しません。
そして、みんな「タイム感」という困難な課題に立ち向かうのですが、専門書では、「ああでもないし、こうでもない」とか、「そう簡単には言えない」ということばかりが書かれているので、本を読むことをやめて、「先生の言うことは、よくわからない」と言うことにして、自分を納得させるしかありません。
今シーズンの後半では、音楽の抽象的な解釈をできるだけ分かりやすく論じていければと思っています。
抽象的な解釈を具体的にするには
実際にクラシック音楽の若手演奏家は通常、音楽理論、聴音訓練、作編曲などに精通しています。クレモナのメンバーも世間的に通用する音楽性を持っていますが、残念ながらそれらを発揮する術というのが身についていないために、多くの人に深い要素を理解されることなく、若手演奏家と一括りに扱われてしまうのが、悲しい現実です。
今年のクレモナは、演奏をさらに機敏に進めながら、「タイム感」を繊細なコントロールで表現していきたいと考えています。
管楽器では不得意とされている弱音に大きく寄せた演奏で、羽一枚の質量の変化を見せるように、その潜在性を求めていきたいと考えています。
味の素論争に似ている「電子音楽」への理解
次に、今の音楽芸術を語る上で大切になってくるサブジェクトでもある「電子音楽」をもっと積極的に活用していきたいと考えています。表現様式の選択上クレモナの演奏は「クラシック音楽」だと言えるのですが、そんな世界に閉じこもるつもりはありません。
よく、「音響を入れるのは本物の音ではない」という方もおられますが、僕の感覚では「21世紀になってもまだ、そんなことを言う人がいるのだ」と驚きでしかありません。そう言う人はきっと「本物の音」と言うのを理解されていないと思うし、理解する気もないのかも知れません。
まるで、「味の素を入れて調理するのは体に悪いからダメ」と言っているのと同じ。本気でそう思っているし、化学調味料が体に悪いって信じ込んでいると思うんです。
そう言う人って、いったい、今の世の中をどう見ているのでしょうか?情報をアップデートできていないのか、変化する事に恐怖があるのか、気になります。
味の素を入れないで塩辛い料理ばかり食べる生き方
さらに、この両者に共通しているのは、「制作者(プロの演奏家とプロの料理人)の気持ちが理解できない」という事ははっきりしています。作品を表現するためにどれだけのスタッフが関わって、緻密に計算しているのか、演奏している音を聞いて理解できない人は、ずっとヘンテコな演奏しているクラシック音楽を本物だと思い込んでいたら良いと思うし、味の素を入れないで塩辛い料理ばかり食べてそれが本物だと思って生きていけば良いと思います。
でも、少しだけクレモナの何処が新しい表現なのかを見付けたいと思ってもらえるのなら、とりわけアーノンクール以降の様式感の変化を踏まえて、2020年代の時点における「僕たちの語法」を発見することができると思います。
今年はそんな感じで、クリエーションを前進させて、とびきり尖った表現で、多くの皆さまに良質の娯楽をご提供してきます。
ぜひ、一度公開練習を見学にいらしてください。きっと、面白い発見がたくさんあると思います。
コメント