いよいよ定期に向けての本格的な練習が始まりました。この日は、坂本龍一さんの「アクア」という作品の初練習。
緊張する瞬間となりました。
全体的に、穏やかな雰囲気の楽想に、アクセントをつけるために、冒頭はミディアムなテンポで演奏する事にしました。(もちろん狙いはありますが、本日はお話ししません)
非常に美しい作品で、温かく優しい印象が終始包み込むような内容で、およそ坂本さんらしくない曲だというのが、すぐにわかるかと思います。
今回、この楽曲で表現したいのは「悲しみ」です。これまでのクレモナではどれだけ、死をテーマにした曲であっても「嘆かないように」という注意をしてきたのに、この曲は「なきを表現してほしい」と、メンバーに伝えました。
このような指示をするのは、はじめてです。
私は、「悲しさ」を表現された曲でも、演奏者が嘘っぽい悲しい表情をして演奏するのが嫌いです。
ですが、この作品は別です。本日は、その事をご説明いたします。
クラシック音楽には「レクイエム」というジャンルがあります。モーツァルトにしても、ベルディにしても、多くの作曲家が「レクイエム」を書いていますし、お客さまにも人気で、チケットも売れます。
もともとは、カトリックの「死者のためのミサの音楽」になるので、非常に宗教的ですし、歌詞もあり、どの作曲家の作品でも同じ歌詞を使用されています。
「レクイエム」は、その歌詞の意味もわからなくても、美しい旋律が出てきて、しかも難しくない音楽なので、初めてでも感動できます。
そこにある、「死者への悲しみ」というものを感じる事なく、自分たちとは関係ない、他人事でいられる音楽だと思うんです。
一方、クラシックには「葬送行進曲」というジャンルもあります。有名なのはショパンのピアノソナタだと思います。多くの人が知っている旋律ですが、この曲を生演奏で聴いたという人は少ないと思います。
生演奏をしっかりと聴いたことがないというだけなら良いのですが、旋律の一部が聞こえただけでも、「縁起が悪い」とか、「不吉な予感がする」という、根拠のない評価がなされていると思います。当然、コンサートで演奏される機会は日本では少ないです。
この、両者の違いは簡単で、「葬送行進曲」においては、自分の近しい人の死とリンクしやすいというか、人生の経験と被ってしまうので、自分ごとになってしまうと思います。
ということで、おかしな国の日本では、その理解力不足からくる、「レクイエム好き」の「葬送行進曲嫌い」という、ヘンテコな現象が生まれました。
なので、今回の作品は、お客さまにウケようと思うと、「レクイエム」のように、他人事でいられる美しいだけの音楽に徹するのが最適だと思うのですが、あえて後者の「葬送行進曲」のように、身近な音楽として作り上げようと私は考えております。
反対のご意見も頂戴すると思いますが、なるべく生々しい音楽にして届けたいんです。これって、演奏者の力量が試されるような瞬間でもありますが、そこにリアルな音楽が存在できるのなら、拙さが露呈してもいいんです。
そうする事によって、坂本さんが残した音楽を、さらに進化させたいし、今回の「アクア」は、これまでにない表現でお届けしたいと考えております。
なので、別に見たくないかも知れませんが、泣いて演奏します。
と言っても、そこはプロの演奏家です。嗚咽して演奏ができないでは本末顛倒。もしかしたら、そういうのもありなのかも知れませんが、スケベ心無しに素直に取り組みたいと思います。
ぜひ、公開練習で、その表現について熱く説明をしておりますので、お時間ございましたら、遊びにいらしてください。
2023年10月7日 監督かじくん
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