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今年は「脱・ポンニチ」-言葉使いと演奏について

監督日誌

超気合い入った公開練習、四人での練習は曲は坂本龍一《東風》からとなりました。

この日、はじめて配った楽譜となったので、初見での合奏。それは緊張する瞬間でした。

考えてみれば、メンバーの半数が30代となったクレモナ。そろそろ若手とは言えなくなり、飛躍が求められていると肌で感じています。

クレモナももう30代に突入しつつあります

演奏家にとって30代というと、自分のキャリアを築き上げる大切な時期ではありますが、このキャリアをどのように高めていくのか、クレモナはまだ悩んでいるようにも思います。

ちなみに、世の中の30代の演奏家って、急に故郷をテーマに音楽をしたり、歌ったりする人が増えてくるというのが僕の個人的な感想なんですが、クレモナでは頭の中が「お花畑」になる望郷からは、慎重に距離を取るように心がけているし、ピアソラや坂本龍一と同様に、根無草のように無国籍でありたいと願っています。(故郷を歌うのを否定しているのではなく、気持ち悪いって思っているだけです。御免なさい)

今回、坂本龍一の作品を手がけるにあたり、僕が考えていることを少しご説明しようと思います。

まず、《東風》の特徴としては、独特のラインから始まるベースのリック。クレモナでは、ピアノが担当しています。この曲の代名詞的なリックで、普通に今聴いてもカッコいいラインです。

また、この作品はYMOの代表作で、これまで多くのアーティストがカヴァーをしていて、今でも多くの人に愛されている曲ということで、当然、取り入れるにあたり、多くのプロの演奏を聞きました。

今回、最も慎重に取り組んだのは、作品に対しての「入射角」

普通に演奏すると、この曲は非常に気張ったものになり、ノリが悪くなってしまいます。昔だったらそれも良かったのですよ。何となく「カッコ良い」というだけで楽曲が成立していた時代は、それでも喜んでもらえました。

でも、今は違います。

何が違うのかというと、《東風》は非常にイヤーキャッチーなメロディですが、リズムのリフに合わせただけの演奏って、ノリが悪いというか、ラジオ体操みたいな音楽になってしまいます。

これって、テクノ全般に言えることですが、今のポップスでも時々みられるし、何ならその辺のモーツァルトを演奏しているピアニストの音楽でも、吹奏楽でもオーケストラでも、同様の感想を持つ時があります。

それは、音楽が縦乗りすぎて、横の流れ、つまりグルーヴがなく、ラインが感じにくい音楽となってしまうという現象です。

これまで、こういうノレない音楽の事を僕は勝手に「ポンニチ」って思っていたのですが、坂本龍一の作品を取り組む事により、少し味方が変わりました。

坂本龍一の作品を通して発見したこと

キャッチーなメロディーって、簡単にカタカナで表現することができると思うんです。表現者にも、あるいは指導者の人にも言えると思うのですが、メロディーをカタカナで表現する人っておられるじゃないですか?

例えば「ジャジャジャジャーン」とかになるのですが、こういうことを誰かが言ってしまうと、音楽がそれにしか聞こえなくなると思います。

考えてみたら怖くなるのですが、電車の音って「ガタンゴトン」って、聞こえる人ってたくさんいると思うんです。同じリフだけで聞こえてしまう「お花畑な聴力」と簡単にバカにして終わりという話ではないように思います。

複雑な物を単純化するというアプローチは、有効に働くこともありますが、芸術を表現するうえでは不適切なことが多いと思います。

音楽監督として表現の注意点

ですから、クレモナの音楽監督として、絶対にカタカナでリックを表現しないように心がけています。

カタカナで表現するメロディーって端的に説明すると、「子音・母音・子音・母音」の連続みたいな音楽という事で、機械的なラインばかり悪目立ちする音楽になり、つまり、横の流れが全くない、縦乗りだけの音楽という事です。

まるでラジオ体操をやっているような気分になる音楽といえば良いのでしょうか?キツツキの様に首を縦の振っているだけで、あれで音楽をやっているつもりだからタチが悪いんですよね。

アプローチする入射角が間違っているという事に気が付かない、ヘテコナ表現になってしまいます。

当然、クレモナのメンバーもリックがカタカナになっていたので注意をしました。

私がした注意は「イーヤヤ、コーヤヤ、セーンセイニ、ユータロ!」という音楽になっているので、やめてほしいという注文でした。

その注意を受けてメンバーからは、「そう言われると、もうそういうふうにしか聞こえない」という感想でした。

全く間違っています。

そうならないように演奏するのであって、そう聞こえてしまうという共感力は、アンサンブルするうえで邪魔でしかないという事に気がついていないという悲劇的な発見からの練習となりました。

日本語的な特徴が色濃く出てしまう表現。日頃、自分たちの「言葉遣い」が大切だと改めて思った練習となりました。

今年は「脱・ポンニチ」がテーマになりそうです。

2024年2月18日 監督かじくん

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